夫婦の会話で「ネタ」が尽きるかと思っていたら、案外そうでもないことがわかってきた

昨日記事で紹介したポッドキャスト「Ossan.fm」が本日5/10(金)に更新されまして、その中で「子育てが終わりにさしかかると夫婦の会話が心配(大意)」という話題が出てきていました。下記から聞けますので興味のある方はぜひぜひ。

私は両親が不仲で、長く「夫婦間の会話がない」状態で育ちました。そのため、夫と結婚を検討するフェーズに入った際に、以下の点が気になっていました。

「毎日一緒にいて会話は続くのか?」
「今は話題があっても、そのうち話題のネタが尽きるのでは?」
「ネタが尽きた時にはどうすればいいのか?」

結婚する時にはそれなりに盛り上がりはあるし、新しい生活を始めるにあたってやるべきことも多いし、会話がいきなり突然途絶えることはなかろうとは思っていました。とはいえ、仕事の時間を除いて四六時中顔を突き合わせているわけですから、ネタがなくなることだってあるのでは?という懸念は常に持っていました。

夫婦二人の共通点としては、当時「テレビが好き」「競馬が好き」という要素がありましたが(今もそうです)、同じテレビ番組を見続けるわけでもなし、競馬は向こうの方がはるかに濃くて詳しく、付いていけるほどではない。この先うまくいけば(?)数十年同じ時間を過ごすことになるわけで、会話でネタ切れを起こしたらどうすればいいんだろうと不安に思うわけです。

夫婦だろうが同僚だろうが友人だろうが「ネタ切れ」という発想をすることがおかしいのですが、何しろ一番身近なモデルケースが破綻していて会話がない、あっても必要最低限の事務的な話、しかも雰囲気は険悪、となると、お手本になるのはテレビやラジオなどの会話になってしまいます。そうすると「夫婦の会話」に対して「ネタ」という概念を持ち込まざるを得ない。今思えばそもそも間違いだと思うんですが。

実際にどうだったかというと、結婚してから2年後には夫の転勤についていく形で東京から大阪へ引っ越し、大阪の話(歴史、地理、テレビ番組などなど)で話題は尽きず、その約1年後には私が今の職場に再就職を果たし、その1年後には義父の病気への対応や看取り、その後の相続の話に追われ、その間に2回も引っ越しており、話す内容には事欠きませんでした。

5年経った時には再び東京に戻ってくることになるのですが、そのあたりで「あれ? 意外と会話って続くもんだな?」と気づいたのでした。

どのご夫婦でも(に限らず、家族間でも、知人・友人の間でも)そんなに「役立つこと」「実になること」ばかり話すわけじゃないと思うのです。

たぶん。

少なくとも我々は、完全に意味を成さないけれど夫婦の間では通じる「ネタ」について延々とだらだら話したり(例えば「妄想の『猫との暮らし』」とか)、その時々のニュース番組を見て意見を交わしたり、その年代に合わせて話題が移り変わっていっています。ましてや子供がいる場合は、子供が大きくなる過程でいろいろな良いことも悪いこともあったりして、いくらでも話があるでしょう。会話をする中でどちらも考えが変わったりステータスが変わったりするわけで、いちいち「ネタ」を考えて話すわけじゃないんだ、ということを学んでいきました。

そして気が付くと、なんと結婚から20年経ちそうになっていて、相変わらずだらだら会話したりシビアな話題になったり、テレビを見て議論したりしています。最近では、私から「元・頂き女子りりちゃん」のX(Twitter)で書かれている内容が面白いと話して真っ当にたしなめられたかと思えば、ラリー・ジャパンではなぜ車が壊れるような運転をするのか?という回答のない話題を出したりしています。

この先何年互いに元気でいられるかはわかりませんが、一応、今のところ、会話が途絶えることはなさそうです。